近未来のプログラマの姿は、より抽象的作業に支配されていくことだろう。

現在は、工程の下層に行けば行くほど、細々とした具体的実データでの作業が求められる。
現在の開発工程は、上層~下層まで分かれているが、この大枠がより大胆に変わっていくことが予想される。

開発において、細々とした具体的コード開発の領域は、すべてAIが担うこととなるだろう。
近未来のプログラマは全て中層~上層のみに置かれ、漠然とした大枠による抽象化された機能について、
どのように取り扱うべきかを考察する存在となるだろう。

細々とした処理の流れは、信頼のおけるAIが構築し、人間は、AIからどの程度の進捗にあるのか、
現状報告を適切なプレゼンをAIから受けることとなるだろう。

開発効率は格段に上がり、人間は、労働時間の大幅な削減を得られる。
四半世紀における技術革新によって、人間は一年間の休日日数が労働日数を大幅に上回ることになるだろう。

人間があくまでも労働の主体となるが、AIに労働を任せるスタイルが一般的に成ることだろう。
現在は、長年培われてきた労働競争の経験の流れから、AIをフル活用して、利益獲得の利点ばかりが取り上げられているが、
そうした悲壮にも似た緊縛とした思想は、近未来の社会では死語となることだろう。

週休二日制が当たり前となった現代においても、まだまだ休日が少ないと嘆く人々が多いことを考えてみれば、
いかに人間は労働時間に縛られないことが自然体であるのかがわかるであろう。

実際には、コンピュータの導入によって、コンピュータがなかった時代に比べて飛躍的に事務処理は速くなった。
昔では想像もつかないほどの膨大な量の情報を処理する能力を現在の仕事場は獲得しているにもかかわらず、
いまだに時間に追われ、働きすぎが指摘される状況が続いている。

実際には、週休3日制、4日制にしたとしてもよいくらいである。
人の欲望というものには、限りな無いということの現れであろう。
労働生産が格段に向上してもなお、労働者に余暇を与えず、過酷な労働を駆使させようとする辺りは、
非人道的な行為である。
これはグローバル社会によって、競争激化のために競争会社に追いつけ追い越せの思想が人を追い立てていることを意味する。

このままグローバル化がますます進展すれば、競争激化の上に労働者は疲弊するばかりであろう。
ゆえにこの不毛な闘いから脱するためにも、AIの活用によって、より最適化の手法を人類がとり得るようにすることが
望ましいと言える。

競争社会はまさに戦争と同じである。激戦を勝ち抜き、知恵と経験によって、勝者となった者だけが残る。
この競争原則は、永遠に続く人間の闘争活動にほかならない。

この不毛の闘いに終止符を打ち、最善の手法を歴戦の猛者にしか編み出せなかったことをAIに肩代わりさせる。
さらに全世界、あらゆる分野において、この勝者のアドバイスが得られるAIは、競争という荒波を打ち消すこととなろう。

近未来の社会は、競争社会を無くし、穏やかな鎮静された安定の世の中の創出にほかならない。

AIに優劣を付けることは、性能評価において、必要なことだが、人知を遥かに越えた存在となったならば、
AIは個別ではなく、全てにおいて、アップロード(上書き)されるゆえに、平静の社会を創出するのである。