■はじめに
『嫌われる勇気』著者:岸見一郎、古賀史健 出版社:ダイヤモンド社
アドラー心理学の解説本としては、異例のロングセラー本です。
哲人と若者の対話形式で進むので、読みやすく、アドラー心理学に懐疑的な若者の反発や反論は、読者の素朴な疑問を代弁しているようで、その問いへの解答をするアドラー心理学という流れは、とても読み応えがあります。
■幸せになるために必要なのは勇気
人は誰しも現状維持に落ち着こうとする。
その現状を打破しなければ、幸せへと歩みを進めることはできない。
ちょっとした勇気が、既成概念を打ち崩し、新たな自分・可能性のある開けた未来へと踏み出すことができる。
■トラウマは皆無?
トラウマとは、元から存在しないものだとアドラー心理学では定めている。
しかし、それは本当なのだろうか?確かにトラウマという概念に固執して、自分の殻に閉じこもる、自分の可能性を潰すという負の意識が働いているケースがある。この場合は、たとえトラウマとなるような無意識の抵抗や拒絶に対して、ある程度、勇気を持って、打破することの方が望ましい結果を得られる場合があるだろう。
だが、現代の戦争体験者の中には、トラウマによって、ある一定の条件で悪夢の記憶が呼び起こされ、フラッシュバックを引き起こし、何も手につかなくなるといった生活障害をきたすケースがある。
この場合は、明らかにトラウマの存在を無視することはできず、何らかの対処法や治療法を行い、改善する対策が必要となるはず。
アドラー心理学は、心理学の黎明期に体系化されたものであって、近現代という時代背景を考慮する必要があろう。
すなわち、近現代はまだ親の意思が絶対的で封建的支配が親子間にあった。そうした社会風潮がある中で、親の強い命令や意思に対して、反抗することが難しい立場の子息たちは、思い悩み、中には大きなジレンマに陥り、結果としてトラウマという無意識の抵抗、拒絶反応を示すことがあったと思われる。
そうした親の思いと自分の思いが交錯し、ぶつかり合う中で板挟みの状態にあって、トラウマという一種のしがみつきたい岩を自分の中に勝手に作り出し、トラウマを悪者として、自分が勇気なく決断できない臆病や弱者としての存在を隠そうとする行為に走りがちとなる。
こうした自分のせいではなく、過去に受けた何か強いショックやストレスが強烈な記憶として残り、それを境として自分が自由に振る舞えない状態にあることを示し、トラウマの責任に転嫁することで、なんとかバランスを保とうとする行為が横行することとなった。
アドラーがこうした患者を救うためには、トラウマを完全否定して、固定観念を取り除き、まっさらな状態にして、治療を進める必要があったと考えられる。そのため、極端に重度軽度の差の区別なく一緒くたにトラウマという存在自体を抹消してしまう乱暴な結論を出している。
■注意を引くための不良行為、愛情を確かめたいがための精神障害の発症
100%全てを鵜呑みにできないアドラー心理学ではあるが、一種の不明確な行動に対して、明確な解答を説明している箇所もある。
それは、子どもが親の注意を引くために行ういたずらや不良行為だ。
アドラー心理学では、それを親への復讐という表現を使っているが、それは封建的な厳格的で命令のような一方的押し付けを行う当時の一般的な親に対して、子どもが取り得る最大限の対処法が報復や復讐という表現となったの考えられる。
子どもの引きこもりに対しても、同様に親を困らせると同時に親から離れないことで親の愛情を確かめるという行動を行っている。アドラー心理学が一番の特徴となる目的論に立った見方である。
人の行動には全て目的が潜んでいるというのがアドラー心理学の特徴である。フロイトの潜在意識によって、行動が行われているという考え方とは一線を画す。
伴侶の精神障害もまた、同様であり、夫の愛情を確かめるための手段であり、復讐と考えられる。
近現代の社会においては、封建的な家庭であり、夫の言うことが一番であり、妻や子は絶対的に従うべきというのが当時の風潮であった。
そうした一方的にストレスを受ける弱い立場の妻や子は社会的地位も経済的自立も皆無に等しく、そうした弱い立場の人間が取り得る最大限のバランスを保つ方法が、不良行為や精神障害の発症という形となって現れたと考えられる。